こんにちは。
(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナル・コーチの長井です。
明日で2月も終わり。あちこちで梅の花が見頃を迎え、まさに3月の訪れを感じさせてくれます。
りくりゅうペアの感動的な演技を始めとするミラノオリンピックも閉幕し、今週からは衆議院本会議が始まりました。実りある審議を期待したいものです。
さて、今号のタイトル、いかがでしたか?
これは、コーチ育成のトレーナーをされているベテランコーチの十八番のセリフです。一見身も蓋もない言い方で、ドキッとされた方も少なくないのではないでしょうか。私も敬愛するこの方から最初にこの言葉を聞いた時は、ひどい言い方をするなあと思ったものですが、今はこの毒のあるフレーズの中に奥深いものを感じています。
「話せばわかる」は5・15事件で横死した犬養毅首相の言葉として有名です。また、企業内でも、たとえば中間管理職とその部下の意思疎通が不十分だと思われる際に、その上司が「キミら、ちゃんと話してんのか?」という趣旨の発言をされる事も日常的な風景のように見受けています。
しかし、わかり合えるってそんなに簡単ではなくむしろ稀有なことなのではないでしょうか。
だからこそ「双方の」努力や工夫、あるいは、わかりたいという気持ちの強さやそれを継続していく根気と丁寧さが必要だ、ということをこの言葉は表していると私は考えています。
わかり合うためにまず必要なのはコミュニケーションです。
私たちが長い間受けてきた学校教育では、きちんとコミュニケーションを学ぶための授業はありません。プレゼンの仕方やディベート・議論の仕方は学ぶことがありますが、それは人を思いやる会話のあり方ではありません。そしてその結果あちこちで分断が進んでいます。
冒頭に記載した国会でも「論戦」が行われます。あるいは若年層の一部には「論破」志向が広がっているとも聞きます。そうしたアプローチでは、相手との間に勝ち負けをつけることはできても、共に何かを創っていく豊かで良好な関係性は築けません。そういう関係性の構築に必要なのは相手を尊重する会話であり、多少大げさに言うならば、これこそが今我々人類が学ぶべきコミュニケーションなのではないかと私は感じています。
私は、しばしば「コーチングの『コ』はコミュニケーションの『コ』です」と言うことがあります。これは戯言のようで、実は結構本気で私はそう思っています。それは「聞く」から始まるコミュニケーション・スタイルであり、同時に自分のあり方を点検することが相手との関係性構築の第一歩、ということでもあります。
また、「人はわかり合えない」というのは、相手のことがわからないということに加えて、実は自分のこともよくわかっていない、ということもありそうです。
自分が本当はどうなりたいのか、というのは実はなかなか難しい問題なのですが、「どうなりたい」という未来のことばかりか、「今」何についてどんなことを感じているのか、ということでさえ、ちょっとアヤシかったりします。
たとえば、今なんだか自分はとっても腹が立っている。それは相手の言動が気に入らないから。
でも、その腹立ちの奥にある真のものは、実は嫉妬という、相手というより自分に対する感情だったりします。
さらによく目を凝らしてみればその嫉妬は自分のコンプレックスの裏返しなのかもしれません。
また、相手の腹立たしい言動は、よくよく考えてみれば、自分にもそういうところがあるからで、その投影であるがゆえに、やたら目に付くということもありえます。
そんな風に自分の中に今起きていることに自覚的であることは、自分を俯瞰する第一歩であり、それが事実と感情を切り分けて捉えるということにつながっていきます。
これは、相手に自分の考えや思いをちゃんと伝えていくうえで、とても大事なスキル(アサーティブネスと呼ばれています)です。
今号は紙面も尽きましたので、これについてはまた次号でお伝えしたいと思います。