こんにちは。
(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナル・コーチの長井です。
連日猛暑です。夏雲も観測しました。まさしく夏本番ですね。いかがお過ごしでしょうか。
さて、先日大変興味深い会話がありました。
相手の方は、「上司とはかくあるべき」という信念をしっかり持っておられ、それに向かって日々努力されています。しかし、常にずっとそれを体現するというのはなかなか容易ではありません。で、結果として「上司としてあるまじき」と御本人が感じてしまうような言動になったことがあったそうです。
その件について、この方は「こんなことではダメだ!」と激しく自己否定されていました。が、よく聞くと、その場に居合わせた他の人は「そんなに自己否定しないといけないほどひどいことか?」という反応だったそうです。私自身の受け止めも似たような感じでした。
私はまず、
「その『ダメだ!』という判定基準は誰が決めたんですか?」とお尋ねしました。
「その結果、実際にどんな問題が発生しましたか?」ともお尋ねしました。
そういう会話を深めていく内に、この方は、自分で決めた基準に自分自ら縛られにいって、誰からも否定されていないし誰にも迷惑もかけていないのに、自分で勝手にダメだと思い込んていたということに気づかれました。いわば、自分で勝手に作り上げた幽霊と取っ組み合いをして、自分で自分を苦しめているようなものだったのです。
理想を持つことはいいことです。それに向かって努力をしていくことも大事です。
しかし、それが達成されなかった時に、自分を痛めつけていいということではありません。実際問題として、自分自身が追い込まれていて全く余裕がない時など、やむをえないことだってあるでしょう。
達成されなかった時に反省したり、未達に終わった原因を探すことは、有益なこともありますが、反省や未達原因探索が何か価値のあるものを生み出さない可能性もあります。いちばん大事なことは、そこからまた未来に向かって顔を上げて進んでいけるか、なのです。
反省はしばしば顔を俯かせることにしかならないことがあります。もしくは喉元すぎれば熱さを忘れるということもよく散見します。これらの場合、反省が本当に未来につながるのかは疑問が残ります。
また、未達の原因が見つかったとしても、それが本当に真の原因なのかアヤシかったり、前向きな気持ちに切り替えて次に進んでいくことにつながらない可能性もあります。
むしろ上記の例のように、自分の価値観・判断基準が実態以上に問題を大きく見せていることは少なくなく、そういう自分とどう向き合うかということの方が大事なことも多いように感じます。
この方は、私との会話の後、呪縛から解き放たれたように身軽になったとおっしゃられました。また明日から頑張る気力が湧いてきたというコメントが印象的でした。
真面目な方ほど、理想を高く掲げ、それがうまく行かなかった時に、自分で自分に仕掛けたワナにハマってしまいがちです。あなたはいかがですか?
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ここいち便りは教科書ではありません。みなさんが何かを考えたり取り組んだり話し合ったりするきっかけやヒントになればと思っております。リクエスト・異論・ご意見などなど大歓迎ですので、お気軽にお寄せいただければ誠に幸甚です。