こんにちは。
(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナル・コーチの長井です。
先週あたりから寒波が日本列島を襲っています。
寒いとどうしても身体が縮こまりがちなのですが、できるだけ伸びやかに日々を過ごしたいものですね。
さて、今日のテーマ「違いを扱う」は、日常のあらゆるシーンでぶつかる問題です。
たとえば、職場のメンバーの意見に対し、あなたの考えが異なる時。
現役時代の私は、早く正しい答えにたどりつこうとしていました。おまけに自分の業務経験が豊富だという自負が、自分が一番良く知っているという思い込みを生んでいました。上司として自分が正しい答えを示さなければならないという一種の責任感めいた思いもありました。
で、結局、自分の考えで相手から同意を取ろうとしていました。
相手の納得性が必要だという認識はありました。話を聞こうとしていたつもりでもいました。が、自分の中では既に結論があり、対話をするというより説得をするという方に近かったような気がします。
この時はこういう自分の姿に何の問題意識も持っていなかったのですが、今振り返ると、違いをちゃんと扱えていたのか?という問いが思い浮かびます。
自分は本当に正しいのか。
相手にしか見えていないこともあるのではないか。
自分が出した結論はどのぐらい相手の「本当の結論」になっていたのだろう。
そんな問いが次々と浮かんできます。
ビジネスは時間との勝負です。自分も相手も早く答えが欲しいと思うのは無理もありません。
しかし、答えとか結論というのは、物事のある表層を切り取ったものに過ぎません。その実体とか本質はもう少し多面的であったり複雑であったり、あるいは流動的であったりします。そういうところを相手としっかり会話をするということが当時の私には不十分だったという気がしてなりません。
相手の同意は確認して、いわゆる「にぎった」気になっていましたが、せいぜい指先が触れ合った程度の「にぎり」でしかなかったかもしれないと思います。
何がお互いの違いを生んでいるのかという視点は、共通認識を形成するということより、もう少し前の部分に焦点を当てているとも言えるでしょう。
相手の意見が自分の考えと異なる時、相手はどんなところに立って、どんな景色を見ているのだろう。そのまま進んだらどんな展開や未来が待っているのだろう。その道には、こんな石ころや穴凹があるように見えるのだが、それは相手にはどう見えているんだろう。なぜ相手はその選択肢にこだわっているのだろう。そういう会話ができていれば、仕事の進め方も相手の成長も、そして何より相手と私の関係性もまた違ったものになっただろうなあと、思います。
答えを焦らない。その奥にある本当のゴールを一緒に見る。あるいはその裏側に潜んでいるものやまだ見えていない思いに耳を済ませる。そうしたことが違いをよりよく扱うことにつながるのではないかと、今の私は思います。それは、答えだけを合意するのではなく、その答えが表している実体そのものを共有すると言ってもいいかもしれません。
さらに恥の上塗りをすると、当時の私は、答えを出したことで自分の仕事は終わったと思っていたフシもあり、その答えを相手がどんなふうに受け止めたのか、それに向かってどんなふうに取り組んでいてそこで何を感じているのか、というアンテナが低かったような自戒を今感じています。一方的な上司だったなあと反省しきりです。。
違いを扱うことの重要性はビジネスだけではありません。親子間、夫婦問題、あちこちに拡大縮小系の問題があります。こちらはむしろ感情が入る部分が大きくなる分、余計に難しくなるかもしれません。ますます答えを焦らないということが大事になってくるのでしょう。
ということは私も頭ではわかっているのですが、我が身の頭の上のハエが追えているかというと甚だ怪しく、日々精進をして参りたいと思っているところです。
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