こんにちは。
(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナル・コーチの長井です。
今日は1月17日。あの阪神大震災から30回目の1・17です。記念番組や報道も多くなされていますが、あなたはどんな思いでこの日を迎えておられるでしょう。
私は、多くの人の力により見事に復興を遂げた神戸を始めとする被災地を見ると、その労力には本当に頭が下がりますし、ひとというものが持つエネルギーに力強い希望も感じます。
思うに、1・17とか3・11という記念日をこしらえて、みんなであのときのことを再確認しよう、ということよりも、ひとりひとりが何を感じるか、何を考えるか、ということが大切なのでしょう。被災された方々も何千人何万人とおられるにしても、それは「かたまり」ではなく個々のひとが何かをなくされたりいたんだりされているわけです。「一人一人の記憶をひとまとめにしようとしない」という言葉をどこかで見ましたが、まさにその通りだと思います。
ビルや高速道路が倒壊したあの日。大規模な火災をなすすべもなく呆然と見つめる時の思い。避難所で不自由な暮らしを耐え忍ぶしかない生活。人々は「絶望」に直面したことと思います。その「絶望」からどうやって人は立ち上がるのか。どうやって渾身の力を呼び起こすのか。コーチングという人に寄り添い応援する仕事をしている私は、そんなことに思いが行きます。
私の父親はこの地震の2年前に亡くなりました。コツコツ毎日石を積んでいくようなことだけが取り柄の地味な親父でしたが、「希望」と書いた手製の湯呑みを愛用していました。子どもの頃の私は、それを見て「似合わん言葉を書いてるなあ」と思ったものですが、今思うと、それがこの地味な親父が前進していくためのエンジンだったのでしょう。
希望は絶望の反対語です。被災地で復興に取り組まれた方々も絶望を希望に変えて前進してこられたのではないでしょうか。それは「未来に向かって考える」とも言えるでしょう。今眼の前のことに精一杯で先のことなんか考える余裕がない、というお話もしばしばお聞きしますが、本当に自分の持っているものを燃焼させて、自分らしく輝いた人生を送る、ということを考えた時、この「希望」とか「未来」ということはとても重要ではないかと思います。
ヴィクトール・フランクリンという心理学者がいます。ナチスの強制収容所での体験記「夜と霧」の作者です。彼はホロコーストの絶望的な中でも「今ここで何を選択するかは自分次第である」という考えを貫き、人生の目的を明確にしそれに邁進する心理療法を推進しました。
前号では「ゆめに色どりを!」という記事をお届けしました。自分はまだそこまで機が熟していないということもあるでしょう。それはそれで焦る必要もないと思います。
「ゆめ」がはっきりしなくても、「今」はあります。今、自分は何を選択しているのか、それはどんな未来につながるのか、希望の光はそこに見えているのか、という点検は大事ではないでしょうか。
今回はこの特別な日から私の思いを掘り下げて書いてみました。
自分の希望について、私と語り合ってみたいという方を歓迎いたします。
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ここいち便りは教科書ではありません。みなさんが何かを考えたり取り組んだり話し合ったりするきっかけやヒントになればと思っております。リクエスト・異論・ご意見などなど大歓迎ですので、お気軽にお寄せいただければ誠に幸甚です。